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先日、以前からよく理解したいと思っていたスティーブン・フォスターに関しての本の読みました。北米かぶれにははずせないこの人!超有名な作曲家です。なせだかわかりませんが、彼の音楽は非常にシンプルですが、行ったこともない場所の風景や、望郷の念を思い起こさせる不思議な力があります。 知らないうちに知っていたどこかで聞いたことのあるメロディー、そんな曲が多いフォスターであり、もうほとんど定番の歌が多く、その多くは日本でも非常に有名です。 私が、実際に音楽として強く意識したフォスターの歌は、多くの人がそうであるように、『Oh,Susanna』 だったように記憶してます。今でも愛聴版の James Taylor の 超名盤 Sweet Baby James の中で、James がいかしたフィンガーピッキングで奏でる、そのシンプルで、なぜか哀愁を漂わせるメロディにノックアウトされた記憶があります。 それでは、 名前:Stephen Collins Foster 生年月日:1826年7月4 (アメリカ独立記念日ですね) 生まれ:ペンシルヴァニア州ピッツバーグ 死亡:1864年1月13日 ニューヨークにて38歳で若くして亡くなってます) 代表曲:Oh, Susanna(1848年),Camptown Races (1850年), Nelly Bly (1850年) ,Old Folks at Home (Swanee River) (1851年) ,Massa's in De Cold Ground(1852年) ,My Old Kentucky Home(1853年) ,Jeannie With the Light Brown Hair (1854年) ,Hard Times Come Again No More (1854年) ,Old Black Joe (1860年) ,Beautiful Dreamer (1862年) とちょっと挙げただけでも、キリがない!そのほとんどが、『あ~、聴いたことがあるわ、この曲』というものばかりです。 ま~、あまりというか、まったく若者ウケする音楽ではないですが、自分が好きな音楽をどんどん掘り下げていくと、こういう時代まで行き着きますし、この辺の時代はラジオもなく、音楽自体が生活と非常に密接していたでしょうね。そういう意味ではあるかに、感情移入は聞き手もしやすい歌が多かったでしょうし、誰にも起こりうる日常をうたった歌詞も多いですね。今のようにそれぞれ好きなタイプの音楽が違うなんてこともなかったでしょうし、皆同じようなものを聞くしか選択肢がない時代と言えるでしょう。 映画などでも目にする、皆が知っていている歌をキャンプファイヤーなどで歌うなどの光景は近年では、多様化した音楽状況で難しいでしょうね。 まだ独立してから、50年程度しかたっていない若いアメリカに生まれたフォスター、まだまだ片田舎だったピッツバーグで生まれてます。 フォスター自身は、まだまだ片田舎のピッツバーグで正式な音楽教育などは受けていないようです。まー、その音楽も非常にシンプルな構成のものを多いですからね。 フォスターの歌には、南部に関して歌った歌が多いですが、フォスター自身は南部へは新婚旅行で行ったことがあるだけだったようで、これは非常に意外でした。いわゆるプランテーション・ソングや、南部地域の実際の地名が出てくる望郷の歌、などが多くあります。 リンカーンの奴隷解放宣言が1862年ですからフォスターの亡くなった2年後、南北戦争は1861年ですし、黒人は特に南部では、コットン・フィールド(いわゆるプランテーション)で働くか、白人の家で御用聞きとして働くのが当たり前の時代だったのでしょう。名曲Old Black JoeのJoeも実際フォスター家に従事する使用人だったようです。 フォスター家は、奴隷制度に反対するようなタイプの家ではなかったようですが、フォスター自身は、性格が非常に温厚でやさしかったと言われているようで、あまりにも過酷な環境に生きる黒人の環境に同情していたようです。 作曲家として活躍しはじめた当初の多くはミンストレル・ショーで使用されたようです。ミンストレルショー自体は、白人が黒塗りして、黒人をコミカルに描くことが多かったようですが、フォスターの歌には、そのタイプは多くありませんね。 黒人に同情的な歌はこの時代まだ多くなく、黒人政治活動家で奴隷解放を強く訴えたフレデリック・ダグラスなどもかなりフォスターの歌を評価していたようです。 ラジオもない時代にいったいどうやって、この歌が広まって行ったのか!ほとんどは、ミンストレルに代表されるようなショーを通じてのようです。(ベルの電話発明が1876年、エジソンのフォノグラフが1877年)、なので、音が実際に残されるということはなく、人々によって語り継がれるか、楽譜しか、それが伝承される方法はなかったということですね。 もちろん、知的所有権に関しても、状況が今のようなわけもなく、作曲家が歌を所有し印税を受け取るというスタイルも確立していなかったようです。(そもそもレコードが誕生していないので、主な収入源は楽譜の販売だったようです) フォスターも名曲『Oh, Susanna』では$10しか受け取ってないということです。なんでもその権利を売り渡してしまったということ。その後フォスターも学習して、楽譜出版社と契約を結び、売上の10%くらい受け取れるようになったようです。後半には収入もそこそもになっていたとか、 そして、この 『Oh, Susanna』 がアメリカ全土に広まっていく要因となったのが、49ersでも有名な西海岸のゴールドラッシュ1949年ですね、夢を抱き、西に向かう人々の多くがこの歌を口ずさみ、象徴的な歌となったということです。アメリカ大陸横断鉄道が貫通したのが1869年ですから、この時代はほとんど船とか、馬車(フォードのT型が出たのが1907年ということ)なんで、一度故郷を離れると戻るのは簡単ではなかったでしょうね。フォスターの音楽の中で、妙に望郷を感じさせるものが多くありますが、この時代の人々には、現代に生きる私よりはるかに強く、その感情が感じられたことでしょう。 フォスターは、歌にも出てくるジェニーと結婚し、子供ももうけてます。しかし後期は酒の溺れ、金回りもよくなかったと本には出ております。結構な収入があったにもかかわらず、どうしてでしょうか?お酒に消えていってしまったのか? なんと死亡したときは、38セントしか所持金がなかったいうこと!やはり当時から中心地であったニューヨークに後年は移り住みますが、家族とも別居で(奥さんが地元で仕事をもっていたので、別居せざるを得なかった) 結構寂しい日々を送っていたようです。ニューヨークでは、酒に溺れることが多く、死亡する要因にもなっているようです。酔っ払って転んででかなり出血する傷をおったとか、お湯をわかすアルコールランプが倒れてその火傷による傷もひどかったとか、しかしながら死因は明確ではないようです。 財布には38セントと、『Dear Friends and Gentle Heart』 と書かれた紙切れが入っていたとか、、、フォスターらしい言葉なのでしょうが、これが次に作曲する歌の題名だったのか、なんなのかは、わからないそうです。 彼が最後にリリースした歌 『Beautiful Dreamer』 はまるで自分のことを歌っているようで、非常に印象深く、哀愁漂う名曲ですね。彼がどういう気持ちでこの曲を書いたのかは、今ではわかりえますが、 死後のフォスターの影響は計り知れず、よくクラシック作曲家とかカテゴライズされることが多いですが、(実際ワーグナーなどもとりあげてますね) 私の中では、フォークソングの親分みたいな存在ですね、ブルーグラス、フォーク、カントリー音楽の影響は計り知れないでしょう。あまりにもシンプルなコード進行、わかりやすくキャッチーなメロディ、行ったこともない風景を思い起こさせるその魔力、ひねりや、アイディアがふんだんに効いた音楽ではないですが、なぜかいい!音楽のマジックが詰まっているような曲が多いですね。 お勧めのCDは、 こちらで、Joe Weed という人が、プロデュースしているアルバムで、ブルーグラス仕立てで、かなりいかします。私の趣味的にはこれが一番フォスターのあまり堅苦しくない、シンプルな構成の音楽に合っていると思いますし、なんと言っても、ブルーグラス系なので、使用されている楽器はアコギ、バンジョー、マンドリン、フィドル、ハーモニカなどなど、フォスターの生きたアメリカらしい楽器であり、地域に根ざした音を奏でられるものですね。 これは、確かまだDISC UNIONのルーツ・ミュージック館が御茶ノ水にあるときに、店頭で見かけ、一緒に店に行った同じくフォスター・ファンの友人のI毛君が、真っ先に購入したものを、2人で聞いて、ぶっとんだ記憶があります。(今は新宿に移ったルーツ館は、私にとってはあまりにも楽しすぎる場所で、いろんな意味で東京はすごいですね。たまに買い物に行きたいものです)。あまりの良さに私もすぐさま購入しました、その後は愛聴版になっていることは申し上げるまでもありません。 すでに、亡くなって145年、その音楽は息絶えることなく、次の世代に間違いなく継承されていってます。この手の音楽は人々の生活に非常に密接なので、消え去ることはないでしょう。フォスターよ永遠なれ! ちなみに、1月13日はフォスターの亡くなった日ですが、アメリカではフォスター記念日となっているそうです。
by motoyama_naoto
| 2009-01-18 05:19
| 北米かぶれへの道
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