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私の中で、アメリカンなサウンド!その中心をなすのが、George Gershwin です。基本的には、ルーツ系のフォーク、ブルーグラス、ロック、SSW、スワンプロック、などが好きな私ですが、この人だけは、アメリカン・ミュージックを私なりに語る上でははずせない。 ティンパンアレーの時代から、ミュージカル、クラシックに近いもの、もちろんポップ・ミュージックまで幅広く、音楽のマジックとしかいいようがない、ガーシュイン・ミュージック、今回は、ガーシュインの小言です。 ロシアの移民として、NYで育ったGeorgeは、 生年月日:1898年9月26日 没:1937年7月11日(39歳で亡くなってます) 言わずと知れた、アメリカを代表する作曲家!超有名すぎて、その名を知らなくても、彼の作曲した音楽は聴いたことがある人も多いはずです。 そうやら、彼は、結構なやんちゃ坊主で、幼少は音楽とは無縁だったようです。両親からの音楽の影響は大きくなく、後の作詞家として名コンビになる兄のアイラに両親がピアノを買い与えたが、アイラは興味を示さず、ジョージがのめりこんでいったということ。 現代のMP3という時代からは、想像しがたい『ティン・パン・アレー』 の時代。 そもそもこのよく聞くティンパンアレーってのは、何???? 当時はまだ、ラジオも、レコードも普及していない時代。大衆が音楽を買うのは、楽譜だったわけです。まだ知的財産権、レコード会社とアーティストの契約も今のようにはなっていなく、ほとんどが、一曲いくらって感じの単発契約が多かったようです。 ティンパンアレーの名は、当時NYのマンハッタンの28丁目のブロードウェイと6番街の一角にあったこの楽譜を販売する音楽関係の会社がたくさんあった場所のこと。楽譜では、どんな音楽かわからず、演奏家が、実際にその譜面をお客さんの目の前で実演していたそうです。それで気に入るとお客さんが楽譜を買うと言うわけ。まー、サンプル演奏ですね。会社はうまく演奏する演奏者を雇いたがったのは言うまでもありません。この界隈のいたるところで演奏される音が、鍋などを鳴らしているような賑やかさだったので、Tin Pan Alley ということらしいです。 当時の様子はこんな感じ ジョージは、メキメキとピアノの腕をあげて、ここで演奏家としての仕事を得て、結構人気のあった演奏家だったそうです。 同じくらいの時代の同じく作曲家で、ファッツ・ウェラーなどは、お金がなくてその才能豊かな名曲を二束三文で売り払っていたとか、、、、おおー、かわいそうなファッツ とにかく有名な曲の多い、ガーシュインですが、有名になったのは、映画至上初のトーキーと言われる 『ジャズシンガー』 で有名な、アル・ジョルソンに取り上げられた 『Swanee』、今では、北米では、その差別的といわれるミンストレル・ショー的な黒塗りで語られることの少なくなった人ですが、まー、いちやく表舞台に登場してくるわけです。 確かに、、、、この黒塗り、、、、ちょっと前に私のブログでも取り上げさせてもらった、アメリカ初の黒人大統領が登場する今の時代からは、想像しがたいパフォーマンスですね。 そして、もちろん忘れてならないのは、『Summer Time』 これは知らない人はいないでしょう!名曲中の名曲、 初の黒人によるミュージカル『ポーギーとべス 』の中での一曲。 この辺がやはりアメリカの作曲かというか、楽曲は優れますが、様々な人種が多い国だけあり、ガーシュインの音楽も一概にポップ・ミュージックとか、ブルースとか、単純にカテゴライズできない魅力がありますし、やはりスウィング時代到来の楽しいアメリカンな感じもあり、興味深いところです。 当時は、ヨーロッパの音楽が知的で良しとされ、アメリカの作曲家などは、ろくにクラシックな業界では相手にもされていなかったみたいですが、そんな常識を覆す名曲 『ラプソディ・イン・ブルー』 をジョージは作曲するんですねー、確かにクラシカルな響きと共に、ブルース的な音もあり、ラグタイム的な生かしたフレーズありで、当時はアメリカンな感じのクラシックよりの音楽として衝撃だったということ。やるな!ジョージ その後は、兄のアイラを作詞家に名コンビで名曲をたくさんクリエイトしていきます。ジャズのスタンダートとして、いったいどれだけのアーティストに取り上げられているのか?皆目検討もつきません。 ジョージは、結構活発で、一人で過ごす時間よりも人と過ごす時間が好きだったようで、もちろん、ピアノもうまいし、モテモテだったようです。生涯結婚はしてません。でも、誰かと特別な関係になることも多くはなく、逆に兄のアイラは大人しめのタイプで正反対だったようです。 まー、ここで、彼の歌がどれがどうで、何が有名でどうのこうの、と言っているとスペースなんていくらあっても足りませんので、述べませんが、大恐慌前後の古き良きAmericaで、消して豊かではないNYの家庭から移民の子として、出現したガーシュインの音楽は、やはり私には何かアメリカ的な音が感じさせます。 私は個人的には ・They Can't Take That Away From Me ・But Not For Me (Chet Bakerがいいっすかね?) ・Someone to Watch over Me (Chris Conner かなー?) ・How Long Has This Been Going On? ・The men I love (Ellaかなー?) と言ったところか、まだまだ好きなのはありますが、この辺で、、、 すでに亡くなってからも、長い年月が経ってますが、彼の音楽は、いたるところで耳にします。私も今後ももっと好きになる曲がでてくることでしょう。 偉大なる作曲家 リスペクト!ですね!
by motoyama_naoto
| 2008-11-28 12:54
| 北米かぶれへの道
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